関西大学校友会 堺支部
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行事報告


【第14回 逍遥の会】 2003年5月25日

<日出ずる国 面影残る> ― 道明寺天満宮〜古市古墳群 ―

前夜の薪能「道明寺天神能」の後始末と、25日で天神さんの露店が並ぶ境内を総勢5名と言う少々寂しいメンバーで、史跡巡りはスタートした。
道明寺天満宮に似せて造られて置かれている陸送用の木ソリ「修羅」が発掘された三塚古墳、この辺りは開発ラッシュのために、マンション群立のなかにある。

一を横に見て仲津媛陵の正面へ出る。この古墳は、正面が住宅群に囲まれていて窮屈そうではあるが、後方はゆとりを感じさせる緑に満ちた構えである。地盤のよい場所に一番早く築造された陵と言われている。ー応神天皇の皇后・仲津媛命の墓と伝えられている。

少し北へコースを取ると、近鉄南大阪線の軌道を見て、古墳時代の雰囲気から現代へ引き戻される。進路の左手に古室山古墳・元旦にはこの辺りの人達が、初日の出を拝む丘頂を見ながら、その周辺を巡る。
西名阪道路を潜り、大鳥塚古墳を巡り巨大な古墳、百舌鳥古墳群の仁徳天皇陵と大きさを競う応神天皇陵の正面に出る。
この辺りの天皇陵、古墳群を管理する宮内庁書陵部でガイド資料を貰い、仁徳陵と応神陵を比較しながら、日本最古の八幡宮・誉田八幡宮(こんだ八幡宮)へ向かう。
応神陵沿いに、歴史の道を国道170号線へと歩を進め、羽曳野警察署、羽曳野市役所、墓山古墳を見て交差点を東へ取ると、誉田八幡宮の横っ腹に突き当たる。南北朝の動乱の巷、つわものどもが夢の跡、仲哀天皇、応神天皇を祭神とするこの境内の石のベンチで昼食の一刻とする。

楽しく歴史の話をし、また、現実に戻らされたりと、あれこれと語り合いながらそれぞれの愛妻弁当に舌鼓を打つ。昼食後は、古墳時代人との出会い?を期待しながら、古事記・日本書紀で活躍した日本武尊の白鳥陵へ向かう。古代の幹線道路・竹之内街道の一歩、一歩に歴史の雰囲気に浸りながら、水と緑の白鳥陵に出る。ここからは、時間の節約とメンバーの疲労を軽くするために、近鉄南大阪線古市駅から乗車し、富田林駅にて下車する。

今回のコースの大きなポイントの一つである、富田林寺内町(じないまち)の散策へ向かう。 寺内町は、中世は宗教都市として、また江戸時代には、大商業都市及び文化の町として栄えた町で、伝統的建造物群として保存された町並みである。観光施設として開放された杉山家住宅(旧家で造り酒屋)の和室に腰を下ろし、ガイドのビデオを見る。 杉山家は又、堺の歌人・与謝野晶子と歌を競い合った明星派の歌人・石上露子の生家である。
町内の道標に刻まれた「町中くわえきせるひなわ火無用」の文字は、当時の人々が持った火の用心意識の昴まりと、高台の町を火災から守った効果は、抜群そのものであったのだろう。
町並みには、旧家の「造り酒屋、木綿商、材木商」が寺院を中心にして栄えたことが想像できる。商いの物を積み下ろしをしたであろう、石川の流れを高台から見下ろしながら、当時の隆盛ぶりを思い描いた。昔栄えた自由都市堺、奈良県橿原市にある堺商人今井宗久ゆかりの地、今井町の町並み、そしてこの町、富田林寺内町。これらの町は、何か栄えた共通項を持っていて、その歴史のロマンを抱きながら、今回の歴史街道の散策の行程を終わる。

その後は、逍遥の会恒例の打ち上げを富田林駅近くで、その奥にうぐいすの湯を控えた『一心太助』で、至福の時を過ごす。
三州の野にそそり立つ二上、葛城、金剛山を仰ぎ見て全行程を終わる。

(平成15年5月25日)

■行程
道明寺駅(近鉄南大阪線)→道明寺天満宮→三塚古墳→仲津姫(命)陵→小室山古墳→大鳥塚古墳→応神天皇陵→誉田八幡宮→日本武尊白鳥陵→古市駅…富田林駅(近鉄南大阪線)→富田林寺内町を散策→一心助太助(打ち上げ・乾杯)

■参加メンバ−
小川耕二・小川美作子・大丸力・高沖武・塩谷圭一

小川 耕二

<道明寺天満宮>
道明寺天満宮

<日本武尊白鳥陵>
日本武尊白鳥陵

<杉山家住宅>
杉山家住宅

<石上露子>
石上露子


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