<佐保・佐紀路を訪ねて> −古都奈良−
5月26日(日)、近鉄難波駅にメンバ−11人(男性8名・女性3名)が古都ロマンを求めて9時に集合。
近鉄奈良駅よりバスでコスモス寺とも呼ばれ飛鳥時代に高句麗僧慧灌法師によって開設されたといわれる般若寺へ。それより南下し重病患者救済施設として建設されたといわれる「北山十八間戸」の前を通り「佐保川」へ。そこでは南都八景の佐保ホタルを再生すべく川の草ゴミ等をとり除いておられるボランティアの方からいろいろな説明を受けた。
南都 花の古寺不退寺〈業平の建立〉の前で昼食。スタ−ト時より2時間あまり散策したので、各々、手弁当・おにぎり等大変おいしかった。
午後は光明后をモデルとしたとされる十一面観音像を本尊とする法華寺、次いで仁徳天皇の皇后磐之媛陵を拝し、少々色っぽい話で申し訳ないのだが、天皇が浮気をされたので、その後終生奈良の地に住まわれたと説明文にあった。当時としては天皇はそうゆうことはありうると思われるので、皇后は現代の女性?のように思われた。
平城京跡を見学しそこでその地下を通る京奈和高速道路を計画中との説明に、世界遺産を守るのか、近代化を進めるのか、考えさせられる問題である。
千三百年前の日本の古都、平城京条坊図によれば東西の道は北から一条〜九条、南北は朱雀大路を中心に西へ〈西四坊大路〉東へ〈東四坊大路〉とあるが、今はその跡形はないのは京都〈平安京〉とは対照的である。
夕刻6時、全行程を走破し西大寺駅(近鉄奈良線)近くのレストラン街でカンパイ。
最後になりましたが、この計画をして頂きました逍遙の会・小川会長はじめ諸先輩に感謝致します。有り難うございました。 |